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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

たった今、日の出に向って、生きている歓びを思った生命が、真っ黒な戦慄に包まれているのである。お通はこんな所で、こんな男のために、怪我をするのは嫌だし、死ぬのはなお嫌だと思った。恐ろしさに口の中が酢くなって渇いてしまった。

――だが謝りを入れて、この男に、馬を渡す気にはどうしてもなれない。この男の凶暴な害意は、この道を先へ通って行ったという武蔵の背後へ迫るものである。何か大きな危険が、武蔵を追っていることにちがいないのである。この男を、一時ここで遅らせれば、武蔵は一時だけ先へ危険を遁れて行くことができる。

たといその距離は、折角、一すじの道にかかっている自分と武蔵との間をまた忽ち遠くしてしまうものであるにせよ――この男に奔馬の脚を与えることは断じて出来ないと、朱唇を噛んで意思するのであった。

「なにするんです!」

自分の勇気と無謀に驚きながらお通は、梅軒の胸を強く突いた。顔の唾をこすっているところへまた、弱いと思った女のその強い手だったので梅軒もちょっとたじろいだ恰好であった。それのみでなく、女の度胸というものは、いつも男の意表外に出るもので、梅軒の胸いたを突いたお通の手は、すぐ次の瞬間に、梅軒の帯びている野太刀のつかを握っていた。