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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
た。しかもその試植に参与したという玉城百名の農民の家が、米之子(コメノシ)という称号を賜わって、永く存続したことを附記しているのである。
是らの旧記類はつい近頃まで、いずれも写本であってこれを蔵する家も少なく、また読んで理解する者もめったにないために、鳥が大海を飛び越えて稲の種を運んだという言い伝えは、元から有ったのでなくとも、次々と遠慮なくひろまって、今でも国頭郡の田港の海神祭の神歌には、おし鳥がこの甘種白種を口にくくんで、畔から蒔き散らしたと唱えていることが、島袋源七君の『山原の土俗』に見え、遠く北に離れた奄美大島などでも、その鳥が鶴になっているだけで、やはり稲の種がニライカナイから運ばれたという話が、『南島雑話』には誌されてあると、伊波君は注意しておられる。捜せば他の島々にもまだ幾らもあるだろうが、考えてみると是は必ずしも運搬者のみの問題ではない。稲という穀物の根原がニルヤにあり、これを繁茂せしめて人間の力と幸福とを、豊かにすることが本来の機能であったのかも知れず、いわば南島の根の国が、単なる亡者の隠れ行く処であるに止まらず、絶えず是から流れ出て、現世を楽しく明るくするものの、爰が主要なる源頭であることを、かつて我々は南北共同に、信じていた時代があったのではないか。