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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
一八
亜細亜東南の諸国との貿易には、明らかに歴代宝案時代というべきものがあった。そこから蘇木・胡椒の類を購い取って、これを中朝に貢献したという代償物は、いわゆる海肥すなわち宝貝以外にはあったとも思われぬから、それを運んだのもまたこの島の船であったろう。ともかくもこの南方の島々と、大陸との間の往来には、文字の記録よりも遥かに古い痕跡があり、是に参加した者に宮古の船があり、また宝貝があったというまでは、ほぼ知られている。
一八
今でも宮古島周辺の貝類採取地として年々多数の小舟の集まっていたのは、北には沖縄本島への航路に接して、八重干瀬という広大な岩礁地域があり、他の側面では属島伊良部島の佐良浜の磯まわりが著名であった。近世幾度かの大きな災害にあって、すでに信仰伝承の大部分を失っているようだが、この近くにはヌーシ山、または乗瀬御岳と称する霊地があって、海上守護の女神を祀っている。神がこの世に在りし日の名は玉めがといい、老いたる夫婦の中の一人子であった。或る日水を汲みに出たままで姿を隠し、後にただ一度親に現われて、この森の神になっていることを告げ、村人海上の難を救うべしと約束した。