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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

五 儀来河内

よほど有名な古い話だったと見えて、那覇の港に接した若狭町の、若狭殿というのがその家であった。袋中みずからもその六代目の子孫を訪ねてみたということを記しているが、それがまたすでに三百五十年の昔である。そうしてニルヤの消息は、この伝説の中にはもう残っていない。

五 儀来河内

ところが同じ書には今一つ、失せて七年後に還って来たという、棚晴船頭(タナハルシンドウ)の妻の話を掲げ、是は本人がなお生存し、自分も現実に逢って見たが、年は六十ばかりだったと誌している。還って来た時には綾錦の衣を着て、その上を海の藻が覆うていた。脱がせて常の麻衣に着かえさせると、たちまちにして前の衣裳が見えなくなったとある。同じ話はまた『遺老説伝』の中にもあるが是は別伝であって、明らかに袋中の『神道記』に依ったものではない。曰く「棚原の祝女稲福婆、失せて三年の後に海に漂ひ帰る。頭禿げ髪無く、貝螺体に附き其気未だ絶えず、前年たまたま海底に遊び竜宮に進み、食を賜はるに塩螺類を以てすと、言ひ畢つて吐くもの色黄なり。是に於て人始めて儀来婆と称す。子孫竜宮の事を問へども婆諱みて話さず」とある。