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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

五

の大鼠害というものが発生したのである。この時の記録は幕府の直轄地内のものだけが、代官某の報告によって、江戸の市中の好事家の間にまで流伝して、幾つもの随筆類に掲げられている。時は安政の卯年(一八五五)、すでに繁殖の兆候はその前年に始まり、耕作の被害はなお翌年まで続いた。駆除には有るかぎりの方法が試みられたが、中でも有効だったのは鼠の買い上げで、そのためにおおよその数字も明らかになった。二十五万何千というのは誇張ではなかったらしく、すなわち是が前年の網にかかった七万余という海鼠の遺種であったということも想像せられる。いわゆる竹実登熟の週期は、今までの学者が信じ説いたごとく確実なものだった。それに地域ごとのずれがあって、どの程度にまで鼠の移動を導いたか。そういう幾つかの問題が我々に引き継がれている。

五

鼠の害の人の力だけでは制止し得なかった記事は、古い奈良朝の史籍にもすでに見えている。島が小さければ小さいほど、ことにその悩みの忍び難かったことは、近くは昭和十二・三年に、鹿児島県の黒島などにおいて、したたかに我々の実験したところで、十分なる記録もできているはずであるが、害がやや下火になるとほっとする傾きがあって、はたしてその結末までが、明らかになっているかどうかは心もとない。