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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
二一
昨年創始せられた新嘗研究会の成績が切に期待せられるとともに、一方にはまた稲の品種の精密なる比較検討によって、追々にその伝来の路筋を明かにし、延いては是を携えて東海の島々に進出した一つの民族の、故郷はどこであったかが判ってくる望みも、まるまる無いとまでは言われぬのである。
二一
人が大陸から稲の種を携えて、この列島に渡って来たのも、たった一度の偶然ではなかったのかもしれぬが、結果は一つに帰するようだから、私は考えやすい方を考えてみる。沖縄諸島の有識者たちは、かつての金沢博士のイニシ北方説に心服して、どうしても北から南の方へ渡って行ったものと考えようとするが、それを何のために何人が計画したかと尋ねてみると、神の指定とでも答えるよりほかはないようである。結局は私の謂う海上の道、潮がどのように岐れ走り、風がどの方角へ強く吹くかを、もっと確実に突き留めてからでないと断定し難いが、稲を最初からの大切な携帯品と見る限りにおいては、南から北へ、小さな低い平たい島から、大きな高い島の方へ進み近よったという方が少しは考えやすい。ともかくも四百近くもある日本の島々が、一度に人を住ませたとは誰も思っておらず、そのうちの特に大きな大切な島へというのも、地図ができてから後の話である。