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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
、取り残されていたかの姿さえあるのであった。
宮古島の方では、アヤゴという古い語りごとの数々が伝わっていて、浅ましいまで烈しい闘諍の数々が、久しい歳月を越えてなお記憶せられていた。器量骨柄が尋常を絶した人々も、一代の間にはこの小さな島をさえ統一し得ず、次々と衰えて子孫は永続しなかった。つまりは家なり個人なりの力の差が小さくて、且つ蓄積し得るほどの余裕もなかったために、たちまち次の者の取ってかわる機会を与えたのである。こういう中において、一方にはやや大きな隣島の懐柔に服し、他の一方にはより弱き島々の隙を狙って、仲間争いの焦点を外へ移そうとした計略などは、かつて沖縄本島でも試みられ、また日本の戦国時代にも例のないことでない。歴史の学問の我々常民の間に役立つのは、かねてかかる悲しい体験を知り抜いて、未然にこの状勢の迫りくる場合を防ぐことであった。いわゆるセヂの均分などは賢い人々の多い時代にも、なお公平を期し難いものであった。ましてその総体の分量のすでに乏しい社会では、争奪と怨恨とは何としても免れない。ただ我々は囚われない史心をもって、静かにこのニライの神の志を、尋ねて行くのほかはないのである。