轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
以前は水上から供給するものが、今よりも遥かに豊かだったと思われる。多くの沖の小島では、各自昔からの神山を抱えながら、それには慎しんで斧鉞を入れず、家を建てるにも竈の火を燃すにも、専ら大小の寄木を当てにしていた時代が久しく続いた。是にも年々の季節兆候があり、占有の方式があり、また信仰祈願があったことは、田野の生産とほぼ一様であって、ただ幾分か幸運の差等が大きかった。唐木と呼ばるる珍奇なる南方の木材が寄ってきた場合には、これを家々の私用に供せず、必ず官府に届けよという法令が、奄美大島の北部などには、旧藩時代の頃に出ている。特にいずれの海岸にそういう実例が多かったか、今もまだ調べてみようとした人は無いが、恐らくは原地の実情もすでに変って、一般にもう稀有の事になっているのであろう。最近に与論島出身の某氏に逢ったときに、試みにあの島の寄物の印象を尋ねてみたが、この人の記憶に残っているのは、一度難破船の積荷の、木臘か何かの箱詰が寄ってきたのと、島では浪の花と称する軽石の大量が、東の渚におびただしく打ち寄せたのと、ただ二つの事を挙げ得るのみであった。しかも嵐の次の日の早朝に、一度は海端に出て見ずにはおられぬという気持だけは、どこの島にもまだ一様に残っている。