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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
島を形づくる中央の峰の名は、今でもなお古見岳であり、それから東南の入海に向かって、流れ出る大川の名が古見川で、その流末の両側に僅かの沖積地がひろがっていて、それが古くからの古見の首邑の跡であった。『寛文印知集』の終りに附載せられた「琉球郷帳」は島津氏征略の直後に実行した検地の記録であろうが、それには村の名を三離れ村と記してある。是は疑いもなく土地の古来の聖地なる三離御岳、土地の語音でミチャリオーンと呼んだ神の杜の名に依るもので、必ずしも部落が三つあったわけではなかったらしく、少なくとも郷帳では一村の名となっている。
村の連合の日本で郷と謂った区域を、もうこの頃から南方では間切と呼んでいた。現在のいわゆる西表島を二つの間切に分かち、西半を入表間切、こちらはすなわち古見間切で、五つの村の外に小浜という島がこれに属していた。入表の間切は畠方の五石八斗に対して、田方が千二百六十七石あったのに、古見の間切の方は畠も九十七石余、田は千八百七十石以上、この畠はいわゆる常畠であって、焼畑・切替畑はこの外かとは思うが、それにしても米の公称産額はこの通り多く、それだけでも稲の神の恩恵の異常に豊かな土地であったことが察せられる。