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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
一つの推測は氏族の競争、これに伴なうところの信仰の僅かずつの相異である。近い頃戯曲にまで作られた赤蜂本瓦(アカブザホンガワラ)の乱の石垣の島に起ったのは、明応九年(一五〇〇)の出来事であった。その政敵であった長田大主(ナータフーヂ)は、古見に遁れて生命を全うし、援を中山に乞うたということが、『由来記』に見えているが、そういう遠方の聯絡ができたかどうかはおぼつかない。察するに隣島宮古島の有力な首領仲宗根氏が、すでに八重山に手を着けていて、長田氏もまたその企てに参加していた故に、背後の力も頼みやすかったので、しかもこの時代の古見はなお昔ながらの文化の中心であって、かの宮古島の仲宗根豊見親なども、或いは時あってこの地に来往していたかと、思われる節があるのである。アヤゴと称する古い宮古の物語歌の中に、「古見の主」および「四島の主」という二つの曲目があって、今も女性によって暗誦せられているが、現在の島人たちはこれを解説して、宮古島にも別に一つの古見があった、四島はただ四つの部落のことだったと思っているようだが、外部の私たちにはそれはまだ信じにくい。宮古の古見という地の存在が明示しにくいだけでなく、八重山の方の古見にこそ、小浜・竹富・新城・黒島という四つの島があって、昔の首邑の東南面を防護するかのように併列している