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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

民家もと七戸、今は十戸あり、一家に数夫婦共に住む。畠はあれども米は無く又牛馬も無し。貢物は鰤とあるから、すなわち漁民の小村であった。周囲五里までは無さそうに見えるけれども、ともかくも耕地は僅かでその他は地竹の茂った原野ではなかったかと思う。ところがこの報告からまた三十年ばかり後、文政天保の間かと思われる頃に、同じ方面の海上で一事件が起こった。私はそれを讃岐の国学者、猪熊方主翁の書翰によって知ったのであるが、この人は当時の大阪の市中に、もっぱらその風説を伝えたと謂っているから、或いは『浮世の有様』のような書物にも、その聞書を録しているかもしれない。場処はこの高島からそう離れておらぬ海面での事らしいが、或る夜漁夫たちが舟を乗り出すと、おびただしく沖が光っているので、ハマチすなわち鰤の大群と心得て、網を入れて引き寄せて見たところが、何とそれがみな鼠であった。たちまち四散して野山に入ってしまった。その数は七万ばかりとあるが、正確な計算ではないことは言うまでもない。大きさ鼬ほどもあり、足の指には水掻きがあったともいうのは、一部は浜の者が打ち殺しもしたからかと思うが、後には貂のごとき獣が現われて、追々にこれを退治し尽したというのは、もとより実際の見聞とは思われず、はたしてそれからまた二十年足らずのうちに有名なる石見