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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

ところがその中においてただ一部分、話者も聴手も承知のうえで、到底いつの世にも有り得べからざる事実を、さも或る昔の出来事であるかのごとく、まったく同じ形をもって語っている場合がある。私たちは是を仮に大話という名をもって呼んでいるが、その語はまだ一般には通用しない。或いは大抵は目的が笑いにあるから、笑話と謂ってもよいかと思うが、笑話は必ずしもこのような不可能事を説く場合だけに限られていない。そうしてまた動機も一様でない。是は上古史の究明についても言えることであるが、つまりは私などの謂う真実線の著しい移行によって、話者も聴手もともどもに、もう何としても信用しまたは説明することのできなくなった昔話に対し、なおその関心を持ちつづけようとする、是が一つの処理方法だったのである。教育といい常識と称するものの近代の変革に伴のうて、ことにその機会の増加したことは事実だが、以前とても必要はしばしば起こっていた。記録が遠い世の姿をさながらに保存しようとしたに対して、我々の口頭伝承は、それぞれの生活要求に適応するように、次々と改造しつつ進んできた。それがフォクロアの学問の単独の立脚地であって、同時にまた文字に恵まれ得なかった数多くの離れ小島の生活の、新たに省察せらるべき側面でもあろうかと私は考える。