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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
そうして程なくまた第二第三の関門にぶつかって、遠い行く手の見定めもなく、次々と無造作に屈曲して来たということが、いわゆる固有宗教の弱味といえば弱味だが、同時にまた懐古の学問の、測り知れざる魅力ともなっているのである。
今でも第二の世界は私たちのあこがれであり、それが何処にもないと聴いて、悲しみ力を落す者はまだ多い。ただそこへ行きまたは戻ってくる通路が、はっきりとしておらぬために、迷わざるを得なかったのである。鼠の浄土の昔話なども、出しぬけにああいう突飛な作り話をした人があるわけでなく、いわば或る時代の失望感の記念であり、かつてこの小獣の群に導かれて、地下から根の国に通うということも、無いとは言われぬという程度に、信用していた者が多かったことを意味し、それがいよいよ見込み無しときまって、次第に誇張の高笑いをもって、古い考えかたに区切りをつけようとしたのであろう。今でも世の中の変り目ごとに、そういうことをする癖を我々は持っているが、それをして見たところで、過去に有った事実は無くならず、ただそれを明らかにする機会を、だんだんに失って行くだけである。以前私が海の神を、何故に少童と書くかを考えようとした時に、水の底の仙郷から子供をもらって来たという全国の昔話の幾つかを集めて見たことがあった。