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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
。すなわち強力なる中原の王者は、万策を講じて遠い海の果からこれをたぐり寄せ、或いはまたこれを無形の武器として、洪大なる地域を征服し得たのも、すでに悠々たる三千年以上の昔のことである。この第一期の財宝の原産地が、はたして世界に幾つあったか、私たちはまだ究めることができずにいるが、少なくとも支那で東夷といいまた島夷といった方面において、その最も明らかな痕跡を永く留めたのは沖縄の諸島である。輸送が江淮の間に限られず、供給のますます豊富になって後まで、価値のようやく賤しきを思いつつも、なお莫大なる輸出をしていたのが、この洋上の小王国であった。久高島のいわゆるミナグルカナイなどは、伊波氏の論文にも詳しく説かれている。こうして取れた宝貝を、ことごとく公の目途に振り向けた期間が長かったために、本来の用法は忘れられたのであろうか。あの色々の珍らしい宝石類が手に入って後に、始めて珠を巻く風習がこの島々に起こったものと、解することは何人にもできないのみならず、もしもこの風習がすでに始まっていなかったならば、宝貝の貴とさ美しさを、弘く世の人に知らせることも、おそらくはずっと遅くなっていたであろう。