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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

少なくとも日本に関するかぎりは、私たちが是から考えてみなければならぬ。此方の大小の島々の海岸には、広い地域に亙って同種の貝を産するが、その種類は遥かに少なく、色も光も南隣の列島に比べて、かなり貧しくまた劣っているかと思われる。それでいてタカラ貝またはニシキ貝という言葉が、いつの世からともなく行われているのである。或いは震旦上代の宝貝の名を知って後に、それを直訳したとも見られようが、わが語のタカラが彼の「宝」に当るということにも若干の思慮を必要とする。そうして一方には南方の或る島々を、都貨邏と呼んでいたことも年久しいのである。ちょうど故尚男爵の蒐蔵を観て、自分が感じたような大きな驚きを、昔も経験した人が非常に多かったか。ただしはまた自らもああいう美しいものを愛玩していた時代が一度はあって、後ようやくに、寒い大きな島に移って行き、陸上の美しい色彩に目を転じなければならぬような境涯に進出して来たのであろうか。問題は結局するところ、いわゆる曲玉の芸術文化が、外から入って来たか、内にあるものが、変展して来たか。仮にあの材料の石類がみな手近かにあったとしても、あれを斫り研き磨って穴をあける技術が備わるまで、頸に玉を貫いて掛ける風習が、始まらずに待っていたか。