轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

そういう必要は今ちょうど、我々の庭さきまで来て立っているような感じがする。たった一つの私の記憶などは、何の役にも立たぬようなものだが、偶然にそれが七十何年かの間、幽かに持続することを得たばかりに、或いは日本の最も大きな問題の一つに、是から繋がって行くのではないかという、楽しい希望が抱かれるのである。夢であったら諸君に相すまぬが、まず能うかぎり簡略に述べておいてみよう。私の生まれ故郷は中部播磨、姫路から四里ほどの上流で、僅かな岡の南の緩傾斜面に、古く拓かれた農村であった。家の横手をお宮の方へ登って行く、上阪という細逕があって、それを隔てたすぐ西隣の田のへりに、この記念すべき植物が、毎年三、四株自生していたのである。後にその土地には登記所か何かが建って、あたりはまったく変ったからもう残ってはいまいが、たしか背後を少しの竹藪で囲われて、日当りのよい、しかも湿地であった。仲間がもう一人、幸いに長命しているから、或いは思い出してくれるかもしれない。とにかくに四つか五つの年から数年の間、毎年この実が熟すると必ず採りに行き、草履を泥だらけにして叱られたことも覚えている。