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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

消極的な事実であるけれども、かくまで人を美しくまた楽しくなし得るものが、まったく遮断せられていたということも、説明しなければならぬ大きな現象であった。伊波氏の書かれた「子安貝の琉球語を中心として」という一文に、たった一つの例しか挙げてないが、宣徳九年(一四三四)という年に、明の朝廷に輸送せられた琉球の貢物目録には、海巴五百五十万個という大きな数字が見える。是は恐らく一年ばかりの特例ではなかったろう。率直な言葉でいうならば、沖縄では是より以外に何一つ、あちらに無いものは出せなかったのであろう。いわゆる仲次貿易の始めにおいては、蘇木・胡椒等の南方の産物のみが、表文の上には出ているが、是を調達するにも多くの宝貝を船に積んで、まず西南の諸国と交易してこなければならなかった。勿論年久しい蓄積によって、価値は追々と低下したろうが、それでもこれを補助貨として使った期間が、この方面においては相応に永かった。マルコポーロの時代の雲南の貝貨については、杉本教授の詳しい研究が出ていて、ここではもっぱらマルディブの諸島のものが、ベンガル・ビルマを経て供給せられたという話だが、それより南に下った海にやや近い地域では、おそらくは沖縄諸島の産が、しまいまで有利に競争することを得たので、中世後半の唐南蛮の通商は、言わば沖縄島内における