轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

いわゆる扶桑伝説はすなわち是で、多分は太陽の海を離るる光景の美しさ貴とさから、導かれたもののごとく私たちは推測している。秦の徐福が童男女三百人をつれて、仙薬を求めて東方の島に渡ったということは世に知られ、我邦でも熊野の新宮がその居住地であったとか、あるいは八丈島の人の始めが彼らではなかったろうかとか、いう類の雑説が色々と発生しているけれども、それはいずれもあちらの記録を読んでから後に、考え出したことだからちっとも当てにならない。ともかくも本国においては永遠に行方知れずであり、この遠征によって彼我の交通が、開けたことにはなっていないのである。

欧陽修の日本刀の歌は、日本にも夙く伝わっていて、

徐福往くとき書未だ燬けず

逸史百篇今なほ存す 云々

という句などは、私たちもまだ記憶するが、こちらの歴史に引比べてみると、王仁の『千字文』などよりは是はまたずっと前のことで、明かに詩人の空想であったことがすぐに判る。太平の天子が人の世の歓楽に飽き満ちて、そろそろと不老不死の術を恋い焦れ、ついに道士の言に欺かれて無益の探求を企つるに至ったなどは、いわば支那古代の小説の一つの型であって、たまたまその中の特に美しく、かつ奇抜にして人心に投じたものが、永く記伝せられて世に残ったにすぎぬことは、今日はもう疑う人もあるまい。