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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

卯を兎に当てた十二獣の説は、程なく我邦にも入ってきてはいるが、歌にしばしば詠まれた「神まつる卯月」稲の種播くこの月の名だけは、今もってウサギの月というような語感を帯びてはいない。或いは初のウヒ、産のウムなどと繋がった音であって、嘗て一年の巡環の境目を、この月に認めた名残かというような、一つの想像説も成り立つのである。

明治六年の太陽暦施行の年には、新暦十一月の第二の卯の日が二十三日であった。仍てこの日をもって爾後毎年の新嘗祭日にしようという御沙汰書が残っている。是はまことに注意すべき偶然であって、以前も地方では十二支によって日を定めずに、霜月二十三夜をもって稲の収穫に伴なう物忌の祭を行う例が多く、現在もなお稀ならず農村には残っている。ただし西南の一隅だけは前にも言うごとく、この月始めの丑の日または申の日に、やや早めに稲を家に入れる式をすませているようだが、それから東へ進むと一般に、この二十三日を重視した痕跡が認められる。二十三夜の夜籠りの慣行は、次第にこの夜の月の出を拝むという信仰にかわってきて、年に三度とか隔月にとかいう例も多くなったけれども、それでも中国地方の一部などで、ニジウソと呼んでいる日は旧十一月の二十三日であった。