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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

金銀宝石と光輝を競うことが、かの心理の根源ではあったろうけれども、同時にまた是を手に入れる機会の乏しさが、今日の眼からは考えられぬほどの、異常なる貴重視を促したのかと思われる。

中国古代史学の展開につれて、この点は今後ますます確実になって行くことが期待し得られる。殷の王朝が、中原に進出した背後の勢力は東方にあった。いわゆる東夷の海の営みの中で、今でもすでにほぼ明かになっているのは、宝貝の供給であった。それが遥かなる西方の指導に呼応したか、はたまた独立して一つの流行の端緒を作ったかは、まだはっきりとは決し難いにしても、ともかくも或る代の大きな偶然によって、窄い入口の開いたことだけは、まず疑いがない。ただそれが東南の或る一つの島群、最も大陸に近い、ことに風候の最も便宜ある、八重の汐路の一筋であったことは、支那の文籍の問題でないだけに心を留める者が少なく、こちらはまた南海は何処の渚にも、あの美しい宝貝がころころと転がっているもののように、思っている人だらけなのだから、ついぞ話題には上らなかったのである。実際の分布は黒潮の及ぶところ、太平洋岸は茨城・福島の境まで、日本海側は富山県を限りと言われているが、それも種類が少なく美しいものはなく、ことにうつせ貝のあざれて浜に寄るものばかりで、活きて海中にいるのを手に入れる