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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

それは耳から口へ、口からまた耳へという経路を通って、久しく保存せられてきた昔話や伝説の類を整理して、島と島との古くからの関係を考えてみようとする学問は民族学の領分であるか。ただしはまた一国民俗学等の別な名称をもって、その圏外に置くべきものであるか。少なくとも民族学協会の諸君は、どちらを正しいとせられるであろうか。是からの判断を明かにしてもらうために、まず少しばかり実地の例を並べて置くことにする。

この決定が両者いずれに帰着するにしても、我々島に住む者の満足には変りはない。ただどっちつかずにして置かれるのが困るだけである。古い文献は絶無に近く、遺物は片端から腐り砕け、しかも人間が休みもなく動きまわっていた洋上の生活に、将来の民族学がもし手を伸べるとすると、最初に行き当る資料は必然に口碑でなければならぬのだが、是は外からくる者には労苦の業であって、たった一つの島にも年数がかかり、今の速力では恐らくは間に合わない。これに対して一方のいわゆるフォクロアは、言葉や感覚の障碍がないために、たしかに成績は挙げやすかったけれども、そのかわりには活動の領域が限られ、外へは出て行かぬのを作法のごとく、今までは考えられていた。