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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

すると、燃え残っている焚火から十間ほど先の水際に、素裸の男が、この寒さも知らないように、水浴びから上がった。逞しい筋肉を拭いている。

(武蔵!)

と見極めると、婆は、腰をついたきりしばらく立てなかった。相手は今、素裸でいるのだ。駈け寄って行って斬りつけるにはまたとない機会であるのに、この老婆のしなびている心臓は、それをなし得ないで、年齢とともに複雑になっている感情の昂ぶりが先に立ち、もう武蔵の首でも取ったように、

「うれしや、神の御加護か、御仏のひきあわせか、ここで武蔵めに会うとは、よも凡事であろうはずはない。日頃の信心が通じて、婆の手で、神仏が仇を討たせてたもるのじゃ」

と、掌をあわせて、幾度も、空を拝しているというような、いとも悠々たる老婆らしいところも、この老婆にはあるのだった。

二

河原の石の一つ一つが、暁の光に濡れて浮きあがってくる。

沐浴した五体に、衣服を着、かたく締めた帯に、大小をたばさむと、武蔵は、膝まずいて、天地へ黙然と頭を下げていた。

お杉婆は、

「今っ」

と、気は逸ったが、武蔵がその時、河原の水溜りを跳びこえ、急にかなたへあゆみ出したため、遠方から声をかけては逃がすおそれがあると、あわてて同じ方角に向って堤の上を歩み出した。