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ちけむりてんめいじん

血煙天明陣

国枝 史郎

「東京日日新聞」1933(昭和8)年11月7日~1934(昭和9)年4月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 191,184 字 · 379 页

青空文庫

「どこへと申してこの婦人の家へじゃ」

「お屋敷どちらでござりまするか?」

「松平越中守(後の白河楽翁公)殿のお長屋じゃ」

「神田北八丁堀の? ……」

「さようさようその通り、そこのお長屋の服部石見家へ、この婦人を送って貰いたいのじゃ」

「いと易い儀にはござりまするが、私がわざわざお送りしますについては、お送りいたす仔細を承りませねば……」

布衣ながらも一流の剣客、気軽で夜郎自大ではないが、時と場合にはうんと自重し、天下の副将軍と下世話にいわれる、水戸中納言家から招かれても、一応のところは断わって、再度の使者によって伺候したという、貫禄を備えた熊太郎であった。いかに相手が奇矯におわす、名門の御曹司であろうとも、素姓も知れず事情も解らない、一面識のそんな女を、送って行けといわれたところで、おいそれと引き受けることは出来なかった。

「もっともである。仔細告げよう」

冬次郎は頷いて眼を閉じて、考えるように沈黙した。

非常に複雑な事情があって、どこから話したらよかろうかと、その糸口を考えている――といったような沈黙であった。

「松本伊豆守が好色の田沼へ、賄賂として送った生贄、それがこの婦人なのだ」