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ちけむりてんめいじん

血煙天明陣

国枝 史郎

「東京日日新聞」1933(昭和8)年11月7日~1934(昭和9)年4月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 191,184 字 · 379 页

青空文庫

三

「…………」

範之丞は何んともいわなかった。

が、その顔にはお吉に対する、愛慕の心とそれに抗する、義理心とが鬩ぎ合い、苦悶となって表われていた。

燈心に丁字でも出来たと見え、燈火の光が薄暗くなった。

「お可哀そうにお吉様、宵々ごとに窓下に立ち、音色に心知れとばかり、玉菊をお弾きなされます。……女の心は女が知る。……追いかけお連れしお逢いなさりませ」

織江は眼一杯涙を溜め、そういって範之丞を睨むように見詰めた。

三

「命の恩人ではござりませぬか」

織江はなおもいいつづけた。

「そればかりかその後も道中で、数々お尽くしなされましたそうな。……怨みは間接、恩は直接! ……それだけのご恩忘れては、武士ともいえず人間とも……」

「織江!」と範之丞は烈しくいった。「恩は忘れぬ、そればかりか……」

「愛しておいでなさりましょうねえ。……」

頷いてハラハラと涙をこぼした。「先夜こっそり窓から覗いて、憐れの姿見た時には。……わしは、わしは走り出て……」

「何んの遅いことがありましょう。さあこれから走り出て……私もご一緒に参ります! ……お吉様連れてこの座敷で……」

「うむ」と範之丞はフラフラと立った。