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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

七

それは野末に見えた一軒の屋の棟だった。近づいてみると垣も門も暴風の時に傾いたまま誰も起してやり手がない。おそらく屋根も満足なものではあるまい。しかし一度は貴人の別荘とされて、都あたりから、糸毛の輦にたけた麗人が、萩を分けて通ったこともありそうな家造りなのである。又八はその無門の門を通って中へ入り、秋草の中に埋まっている離亭や母屋をながめて、ふと玉葉集の中にある西行の、

会ひしりて侍りける人の伏見にすむと聞きて尋ねまかりけるに、庭の草、道も見えずしげりて虫の啼きければ――「わけて入る袖にあはれをかけよとて露けき庭に虫さへぞ啼く」

――そんな文句を思いだして、肌寒げに立ちすくんでいると、当然人は住んでいないものとばかり思っていた家の奥に、風で燃え出した炉の火がぱっと赤く見え、しばらくすると尺八の音がそこから聞えだした。

七

ちょうどよい塒とここに一夜を明かしている虚無僧らしいのである。炉の火が赤く立つと、大きな人影が婆娑として壁に映る。独り尺八を吹いているのだ。それはまた他人に聞かそうためでもなく自ら誇って陶酔している音でもない。秋の夜の孤寂の遣る瀬なさを、無我と三昧に過ごしているだけのことなのだ。