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みやもとむさし
宮本武蔵
吉川 英治
04 火の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页
遠くから姿を発見される惧れがなくて逃げるには気楽だ。さてこれからどっちへゆくか? どっちへ行こうと体一つである。何かいい運だの悪い運だのがいろいろな方角で自分を待っているらしく思う。今の足の向き方ひとつで生涯に大きな違いが生じるのだ。必然、こうなるものだと決定された人生などがあろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。
大坂、京都、名古屋、江戸――流浪の先を考えてみるが、何処に知己があるわけではなし、賽ころの目をたのむように頼りがない。賽ころに必然がないように、又八にも必然がないのだった。何かここに起ってくる偶然があれば、それに引かれて行こうと思う。
だが、伏見の里の萱原には、歩けど歩けど何の偶然もなかった。虫の音と露とが深くなるばかりだった。単衣のすそはびっしょり濡れて足に巻きつき、草の実がたかって、脛がむず痒い。
又八は、昼の病苦をわすれた代りに、すっかり飢じくなっていた。胃液まで空っぽなのだ。追手の心配がなくなってからは、急に歩くことが苦痛になっていた。
「……何処かで寝たいものだ」
その慾望が彼を無意識にここへ運んで来たのである。