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みやもとむさし

宮本武蔵

吉川 英治

04 火の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,809 字 · 369 页

青空文庫

「待たぬかっ」

ふた声目のさけびが聞えた時は、この隠居が、さながら口を耳まで裂いたかと思われる形相で、風の中を走っている時だった。

おどろいた城太郎が、

「な、なんだ、この婆」

つかみかかると、

「邪魔なっ」

と、弾力はないが、怖ろしく固い力で刎ね退ける。

いったいこのお婆さんが何者なのか――なんのためにお通があんなに驚いて逃げたのか――城太郎にはまるでわからない。

わからないが、しかし事態の凡事でないことだけは感じる。それに、宮本武蔵の一の弟子、青木城太郎ともあるものが、老婆の細肱に刎ねとばされて引っ込んでいられたものではあるまい。

「ばばッ、やったな」

――もう二、三間も先へ行くお杉隠居のうしろから、いきなり跳びついてかかると、婆は孫の首根ッこをつかんで仕置する時のように、左の腕の中に城太郎の顎を引っかけ、三つ四つ、ぴしゃぴしゃ撲叩いて、

「餓鬼のくせに、邪魔だてするとこうだぞよ、こうだぞよ」

「カ、カ、カ……」

喉の骨を伸ばしたまま、城太郎は、木剣の柄を握ることだけは握っていた。

四

かなしいにせよ、辛いにせよ、人はどう見るか知れないが、お通自身にとれば、今の心の置き方は、またその生活は、決して不幸なものでなかった。