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ちけむりてんめいじん

血煙天明陣

国枝 史郎

「東京日日新聞」1933(昭和8)年11月7日~1934(昭和9)年4月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 191,184 字 · 379 页

青空文庫

塩尻の巻

一

無言ではあったが首を振り、合わせた両袖で胸を抑え、お浦は貝十郎をただに見詰めた。

当惑と不安と恐怖とが、そのお浦の眼にあった。

しかも断じて貝十郎の言葉に、従うまいという決心が、その同じ眼にあった。

塩尻の巻

一

――これをお前から越中へ――定信の手へ渡してくれ。……妾から渡すのでござりますのね。

こうお浦はいいながら、大切そうに自分の懐中を、両手で抑える癖のついたのは、逃げ水屋敷の騒動以来であった。懐中の中に大切な物を、秘蔵しているとしか思われない。

(あの夜お浦は将軍家に逢った。そうしてお命をお助けした。その際何か大切なものを、お浦は将軍家から預かったらしい)

そう貝十郎は直感した。

(松平越中守定信侯、これは田沼様の正面の敵だ。このお方へ将軍家から渡そうという品、田沼様にとって不利の品であること、もういわずと知れている)

で彼としてはどうあろうと、その品を手に入れたく思うのであった。

瞞しつ賺しつお浦を説いて、その品物を渡させようとした。今はすっかり貝十郎になつき、兄かのように思っているらしい。そういうお浦ではあったけれど、その品ばかりは頑強に断わり手渡そうとはしなかった。