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ちけむりてんめいじん

血煙天明陣

国枝 史郎

「東京日日新聞」1933(昭和8)年11月7日~1934(昭和9)年4月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 191,184 字 · 379 页

青空文庫

八

田沼に、ええ、田沼の爺に! ……妾は生娘ではなかったのです。……妾の生娘は田沼めが……だのに上様はご存知なく、妾を可愛がってくださいました」

お浦は両袖で顔を蔽うた。

肩が小刻みに顫えているのは、思い出して泣いているからであろう。

袖を取ると彼女は笑い出した。それを見ただけでもこの娘の、心の清らかさが想像される、澄んだ、大きな、弦月形の眼から、涙の紐を頬に引きながら、嬉しそうに笑い出した。

「上様は可愛がってくださいました……紗のような天蓋が蔽うていて、忍びやかに匂う香料の、薄い煙りの漂う中で……でも上様のお腕にも、そうして妾の腕にも、刺された銀の針の跟が、赤くついておりましたわねえ」

「あれはいったいどうしたのだろうのう?」

不意に上様の人形がいった。

八

「あれ!」

とお浦は声をあげた。

狂っているとはいうものの、人形に声を出されては驚かざるを得なかったからであろう。

審かしそうに眼を見張って、お浦は上様の人形を見詰めた。

たいていはお浦が描いたのであろう、上様の人形は鼻の下に、立派な八字髭を持っていたが、その下にあるへの字の口――無造作に描かれたへの字の口は、動こうともせず結ばれていた。