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ちけむりてんめいじん

血煙天明陣

国枝 史郎

「東京日日新聞」1933(昭和8)年11月7日~1934(昭和9)年4月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 191,184 字 · 379 页

青空文庫

「今日は何回小言を云ったかな?」

「そこまで計算しておりませんなあ」

「いくらかでも小言が減るようにと、計算ぐらいはするものだ」

「ともうそれがお小言で」

「相手は名に負う田沼様への駕籠だ、その駕籠を暴力で奪ったのだ。与力同心を鞭打って、探しにかかるに相違ない、探し出されたら獄門磔刑、どんな極刑に処せられることか! ……そういう事は承知の上で、駕籠を奪った人物の腹、並み大抵のものではない。……」

「私としましては人の腹より、駕籠の中に何が入れてあったか、そっちの方が知りたいので」

「そいつは実はわしも知りたい」

「珍しく賛成なさいましたな」

「と図に乗るとまた小言だぞ」

こういう主従の朗らかな会話を、水色の勝った小振り袖を着、髪に浮き彫りの銀簪をさし、鈴の付いた塗りの駒下駄を穿いた、そういう姿の町娘が、少し肉が衰えて、頬のあたりなど削けてはいたが、濃い地蔵眉に鮠の形をした眼、それに玉虫のように紅をつけた唇、そういう美貌に微笑を湛えながら、その主従の背後から何んとなく足音を忍ばせて、ずっと以前からつけて来ていた。

行き交う往来の人々など、その娘の際立った風姿に、すき心を刺戟されたと見え、振り返ったり横目で見たりした。