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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
鶴とか馬とかのごとく、物があってすなわち名が存するという場合ならば、この差別は大きいものではない。嘗に至ってはいわば書巻の知識であった。人が学問によって始めて覚え得る前代の事実であった。自分は専門でないので確かなことは言えぬが、和漢両朝の交通が始まった頃には、もう嘗という収穫後の祭は、漢土には少なくとも公けに行われていなかったらしい。単にこの一語の応用を正確にするためにも、なお上古の文籍を渉猟していなければならなかった。是には帰化文人の支援勧説も推測せられるのみならず、興国期の文物制度の中には、名と実とをさながらに彼から採用した例も稀なりとせぬが、嘗をもって表示するところの我邦の一儀式のみは、少なくとも民族固有のものであって、遠い神代の昔から、連綿として記紀律令の時代まで、持続し来ったものと認められている。それがはたして古く大国に行われたという嘗なる文字を宛てて、当っているか否かを決するのは、必ずや彼我の伝統の比較、すなわち自今なお日本の知識人の至難なりとする討究が、試みられなければならなかったのである。しかも自分などの想像するように、いわゆる嘗の祭は彼邦にはすでに久しく絶え、此方にはなお盛んに行われていたとすれば、二者の元来同一の語をもって処理し得るものなるか否かを定めることは、いわゆる今来の諸越人たち