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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

には、少なくとも荷が勝ちすぎたことだったろうと思う。

この意味において皆さまの新嘗研究は、第一歩にまず「嘗」の漢語の比定、是と我邦の今いう「にひなめ」とが、どれほどまで似通い、どの点が特に異なっているかに、向かわなければならぬと私は考える。もしも単なる思いつきで、格別これという共通点も無かったとすれば問題は小さいが、もしも看過し得ない一致が双方にあるとすると、引続いて必ず何故にという疑いが起こるのである。たとえば期節の十月と十一月との差こそはあれ、稲はかの殷周文化の中心地帯において、やや少量ながら夙くまた必ず栽培せられた穀物であった。収穫期からいうと十月の方がむしろ自然に近く、是をまた一カ月遅くしたのは、別に日本だけの特殊な事由があったものとも考えられる。最近十数年来の中国の古代研究の成果が、まだ私たちまでは届いていないので、現在の通説を知る方法は無いが、或いは嘗が稲一種のための祭典であったことは、もうすでに確定しているのかも知れない。稲人または稲米使者という名称が夙く存し、必ずしも主食常食というほどの産量はなかったにかかわらず、これを儀礼のために欠くべからざる農作物と認めたらしいことが、是もまた我邦の年久しい現実と、似通うているようにも想像せられ、今はひたすらにこの方面の隣国の研究が、次々と公表せられる