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かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
する私たちの学問に、割当てられた任務は小さくない。たとえば『延喜式』巻七は、践祚大嘗祭の朝儀の最古最精確の現存記録であるが、この中にはすでに翌年播種の種子に対する心遣い、すなわち私たちの謂おうとする稲の産屋の式作法が些しも見えない。
凡そ抜穂は卜部、国郡司以下及び雑色人等を率ゐて田に臨んで之を抜く。――先づ初抜四束を取つて供御の飯に擬し、自余は皆黒白二酒に擬す 云々
とあって、少なくとも京都の斎場へ輸送する稲束の中には、種子に宛てらるべきものは認められていない。是は嘗と呼ばれた隣邦古代の祭がその通りであって、始めからこれに依られたものか。ただしはまた斎田卜定の制があって、朝家親しく田を営みたまわぬために、自然に是が重要視せられなくなったものか。ともかくも古い形のままではなかったと思われる。
伊勢のいわゆる神嘗の御祭にも、抜穂の式は厳重に行われているが、此方は斎田が至近の地にあり、これを佃くる者も神人であった。近年はともかくとしても、古くこの田の籾種はいかに管理していたろうか。それが判ると参考になるのだが、今はまだそこまでは手が及ばない。御代始めの大新嘗の朝儀が確立してからでも、二百余年の間には沿革は無かったとは言われず、またその痕跡かと思われるものが、『延喜式』