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かいじょうのみち

海上の道

柳田 国男

まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页

青空文庫

の中にはまだ存していて、それも後には次第に消え去っている。その一つとして注意しなければならぬのは、稲実斎屋の施設であった。悠紀・主基の国郡が卜定せられると、八月には神祇官から宮主一人卜部三人が差遣せられ、それが二人ずつ両国に入って行くが、その一人を稲実卜部、一人を禰宜卜部と号するとあって、職掌は明示せられていない。それから斎郡において大祓が行われた後、さらに田と斎場と雑色人とを卜定するが、その役員の中には別にまた稲実公一人がある。その役目は抜穂の田に出て稲を抜き乾し収める以外に、九月にその稲を京都に運んで行く時にも、木棉鬘を着けて引道する者はこの稲実公であった。京都の斎場でも、内院に稲実屋一宇を造り、それにすべての御稲を収めたとあるが、是には稲実公は参与しないに反して、悠紀・主基の田の側では、八神殿の外に稲実斎屋を造り、是をば特に斎屋と呼んだのみならず、別に稲実公等の屋というものも設けられていた。すなわち彼はまた忌籠りの役でもあったと見られる。或いは意をもって迎えるからかも知れぬが、稲実という語は、飯料や造酒料の外では無かったろうかという気がする。