轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
かいじょうのみち
海上の道
柳田 国男
まえがき「海上の道」筑摩書房<br> 1961(昭和36)年<br> 海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社<br> 1952(昭和27)年10月~12月<br> 海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会<br> 1950(昭和25年)11月<br> みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社<br> 1951(昭和26年)10月1日<br> 根の国の話「心 第八巻第九号」生成会<br> 1955(昭和30年)9月1日<br> 鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室<br> 1960(昭和35)年10月10日<br> 宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会<br> 1950(昭和25年)10月20日<br> 人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会<br> 1953(昭和28)年2月1日<br> 稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社<br> 1953(昭和28)年11月23日<br> 知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会<br> 1951(昭和26年)11月5日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 182,344 字 · 353 页
ただあの茫洋たる青海原に突き進み、ことに一点の目標もない水平線を越えて行こうとするには、ちょうど最近代の航空も同じように長期の経験と準備と、また失敗とを重ねずばならなかったのは当然であろう。帆というものの考案も、早く始まっていたことは疑われないが、その構造と操作の方法が、完備したのは近世のことであった。四面海に囲まれた日本のような国ですらも、まだ老翁の記憶の境まで、その利用は単純を極めており、前代文献の書き伝えたかぎりでは、舟はただ磯づたいに漕ぎめぐり、たまたま二つの海角の間を直航するときだけは、マギルと称して帆を用いたが、是は素よりその日の風次第であった。大洋の知識の少しずつ拡大してきたのは、今も続いている釣舟が主たる機会だったかと思う。『万葉集』の浦島子の歌にも有るように、海境を過ぎて漕ぎ行くという作業が普通であって、是には帆を用意せぬ小舟も多かったから、次第に大胆に遠く出る者があったとはいうものの、いつでも地方にアテすなわち目標を見定めていて、よほど確かな船頭をもたぬかぎり、山ナシという水域までは出ないようにしていた。しかも各人の努力勇気の加わるにつれて、次第に隣の陸地の存在を知る場合が多くなり、稀には少時間の空漠を耐え忍んで、目に見えぬ島々を心ざした者が、意外な幸運を見つけて帰ってきてその体験を