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ちけむりてんめいじん

血煙天明陣

国枝 史郎

「東京日日新聞」1933(昭和8)年11月7日~1934(昭和9)年4月20日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 191,184 字 · 379 页

青空文庫

十二

……妾から渡すのでござりますのね」

大事そうに金襴の袋を戴き、一生懸命に握りしめ、そうお浦は暗誦するようにいった。

その時隣室から扉をあけて、薬湯を捧げて仕丁姿の、奥医師日向陶庵が、刻み足をしてはいって来た。

十二

市井の医であった日向陶庵が、同じ市井医若林敬順と、奥医師に推轂されたのは、ほんの最近のことであり、推轂したのは意次であった。

自分の意のままに働かせようと、そう思って推轂したことは、いうまでもないことであった。

薬湯を捧げている陶庵の躯が、麻幹のように顫えていた。

尋常の薬湯でないからである。

平賀源内が苦心をして、蘭医の杉田玄白から、分けて貰った砒石の一種、相当永い時間を経た時、人の命を安らかに取り、しかも痕跡を残さない毒素、それが入れてある薬湯だからであった。

それを将軍家に進めなければならない。

前代未聞の大悪逆! それをやらなければならない自分! ――そう思った時いかな悪医でも、戦慄しないではいられないではないか。

「酔いをお醒まし遊ばしませ」

こういった声も顫えていた。

顫えた声でそういいながら、マジョリカ皿へ載せたギヤマンの湯呑みを、陶庵はおずおずと差し出した。