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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

俥夫は、茶屋からいいつけられたままで、深い理は知らないので、彼女に毛布をかけてやるとすぐに轅を上げて走り出した。彼女の泣けるだけを泣かせて夜露に濡れた俥の幌は、やがて関内の色街へ帰った。

巾着切の黒眼鏡の常は、前の日から馴じみの待合の奥にしけこんでいた。自分には此葉という好きな若い妓があったけれど、何となく、雛妓の豆菊もまた好きで、側においても邪魔にはならないので、いつも、来るたびに呼んでいた。

けれども豆菊が、あの愚連隊の仲間にいたトムの妹だということは、その晩、彼女が帰って来てからの話で初めて知ったのであった。常はトム公が捕まったと聞くと、何時ぞやのナンキン墓での約束があるので、自分が捕縛られた以上に、しまった! と思った。

広東服のお光さんに話せば、何とか、応急の策があるにちがいないが、そのお光さんの一定の住所というのを知らない。また、愚連隊の樫井や今村や三浦などの連中の巣もどこだか分らない。――ただ時計屋の柳田商会へ行けば、或いはお光さんとの連絡がとれるかとも考えたけれど、自分が掏摸だとわかっているのに、図々しく訪ねることも間が悪く思われる。