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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
飛降り
馬車は、うねうねと、黄昏の坂路にかかった。坂のうえに、灯が見えた。あれもこれも母の枕べにともる灯かと思われた。――坂を登り切ると、軌は並木の下を縫っている。
やがて、からたちの垣根が見えた。――夕暮の空に白いペンキ塗りの赤十字病院が仰がれた。豆菊もトム公も、そこの窓の灯を見たとたんに、睫毛にぽうっとその灯が滲んでしまって、幾すじとなく熱いものが、むずがゆく頬を流れてくるのも知らなかった。
飛降り
「はい、ご通知を拝見して、非常に驚いたわけです。で早速、病室も特別室の方へお移ししておきましたから」
通された病室は、雪の夜のように白々としていた。主治医は、寝台に椅子をよせきって、無言を守っていた。助手や看護婦たちの沈黙にも、あきらかに、病人の危篤を語るものがあった。
「実は……」と、主治医は三名だけを蔭へよんで「東京からの電報も拝見しておりましたので、極力、尽しましたが、遺憾ながらお待ちしきれなかったのです。で……只今注射をしましたから」
「どうも、万、やむを得んことでござります」と、老家令は沈痛な低声で言った。
そばに、俯向いていた女将が、しゅくッと嗚咽をして、突然、袖口をかみながら背を向けたので、二人もはっとして、寝床の方へ眼をふり向けた。