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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
灯
夜もすがらこうして歩いていたら母が自分の姿を夢に見るであろうと儚いことを考えて慰めた。
と、永いからたちの生垣の外を、可愛らしいぽっくりの鈴が忍びやかに歩いて鳴った。トムが歩む方へ、その鈴の音が尾いて来た。彼がいつまで気がついてくれないのを焦れったく思うように、やがて、垣の外から低い声がトムに向って呼びかけた。
「兄さん。……兄さん」
灯
トム公は振り顧って、ぎょっとしたように外の闇を見つめた。からたちのいばらを透かして華やかな友禅ちりめんと緋鹿の子の帯揚が見えた。白い、夕顔の花みたいな顔が、悲しそうな眼をして、棘のある垣の隙間からのぞいていた。
「あ、お菊ちゃんだね」
トム公は言った。
お菊ちゃんとは、金春の雛妓の豆菊の本名だった。あの、小さな淋しい雛妓が、こんな晩こんな所へ、どうして来たのか、ぽつねんと袂をかかえて立っているのだった。
「馬鹿だなあ」
トム公は、兄さん顔をして、
「何だッて、女のくせに、こんな所へ来たんだい。馬鹿だなアお菊ちゃんは、早く帰れよ」
「だって……昨日病院へ面会に来たら、誰にも会わせることはできないと言って、帰されたんですもの」