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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
雛妓
やがて、彼の影も、日向が消えるように、いつのまにかそこにいなかった。
雛妓
本牧の三の渓に、遠くからでも見える十九世紀型の西洋館と、破風づくりの、和洋折衷の、その頃ではめずらしい、また、豪奢なとも驚かれていた、別荘があった。
西洋館の方の塔みたいな屋根の尖に、赤い風車が乗っているので、トマト畠にいる百姓でも、それが北仲通りの輸出入商、セキタン屋の高瀬の別荘だということを知らないものはない。
秋の晴朗な畠道を、きょうも、幾台となく、馬車や俥が、そこを向けて通った。
「お大尽が通る」
「関内芸妓が通る」
と百姓たちは、幾度も、腰を立てた。
別荘の庭園の前にも、漁師の子だの、碧い眼の赤ン坊を連れた雑用婦だの、ピクニックに出かけた外人の家族づれなどが、俥から下りては、邸内に吸われてゆく華やかな座敷着の女や、雛妓たちを、ものめずらしそうに、見物している。
そのうちに、黒の山高帽をかぶった跛行の紳士が、馬車から下りた。この跛行の紳士がその日の正賓であるとみえて、玄関のまえには、主人の高瀬理平や、夫人お槙や、令嬢の奈都子や、すべてのものが、ものものしく立ちならんで、出迎えた。