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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
夜の幌
「こらっ、静かにしちょらんと、縛るぞ、縛るぞ。――おまえわしの顔を忘れとるな」
彼は白い上衣を脱ぎすてて、ばたばたと暴れ廻るトム公を、易々として廊下の外へ抱え出した。それは船渠会社の事務室で見たことのある伊勢佐木警察署の刑事である。柔道何段かのあの刑事だったのである。
夜の幌
暗いからたちの外に、豆菊は、いつまでも正直に立っていた。わッと泣きたそうになるのを怺えて待っていた。
「おい、君あここで、何をしとるんだ」
刑事風の男がそばへ寄って来た。そして彼女の恟々した眼をじいっと見て、
「おまえは、かんかん虫のトム公の妹じゃないのか」
「え? ……」
「トム公は捕まった。もうここへ戻って来やせんぞ」
豆菊は吃驚して振向いた。うしろにも、もじりを着た気味の悪い男が立っていた。
「可愛い雛妓のくせに、ひとりで物騒じゃないか。抱え主の家まで送ってやろう。さ、帰れ、帰れ」
豆菊はその手を振り払って、桜並木の蔭を夢中で駈け出した。遊行坂をころぶように駈け降りた。そして、坂の下で待っていた人力車へ跳びつくと、うしろ向きに蹴込みへ乗って、わッと泣いてしまった。
「どうしたんだい豆菊さん」