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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

カメラ

こんなことも、話したいわ」

「あ、島崎さんは、帰ったかい。――騎手の島崎さん」

「いたわ、今そこに」

トム公は、花櫛をひろって、妹に渡してやりながら立った。

「どこにいる」

「夫人といっしょに、客間から出て行ったわ。きっと庭の四阿亭の方へ行ったんでしょう」

「じゃ、後でネ」

豆菊の涙ッぽい眼をそこにおいて、トム公はあわてて前の温室の蔭へ帰って来た。

「じゃ来る! きっと来るんだ」

彼の報告に、そこらの闇はまた、人影をかくして、何げない夜の景色を森とととのえていた。

カメラ

「真面目ね、真面目ね、いやよ、島崎さんは」

そういう夫人お槙は酔っていた。相手の酔いの程度が不足なほど酔っていた。庭へ出て、騎手の島崎と、腕を組んで、しどけなく夜露を漁って来るのだった。彼女と島崎との対照は、ちょうど脛の長いアフリカ種の馬のそばに驢馬が寄り添ったようであるけれど、彼女は、十分な満足を感じ得ている。

「あんた狡いわ、今夜は酔うと言っておいて、私にばかり飲ませて、そのくせ、酔ってないんだもの」

「それや無理ですよ、奥さん、騎手ってものは、朝から夜まで、派手なものにつつまれ通しでいながら、それで、夜更かしも酒も、食べるものすらも、始終神経質でいなければならんのです」