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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
闖入者
「分らんのか。……熱は」
「三十八度前後……。ゆうべは、九度ぢかくまでありましたが」
「ふーむ」
「やっぱり、年ごろですから」
「肺じゃあるまいの」
理平は、沈鬱になった。眼の下の皮が、疲労にたるんでいた。
北仲通りの本宅へ、馬車はやがて着いた。支配人はまだ事務所の電燈を鼻の先まで下げて執務していた。瀬戸の大火鉢にゆうべからの忙しさを語る吸殻がむせッぽい煙を漲らしていた。
「松下君、やすみたまえ」
「あ、お帰りで」
「だめ、だめ。此ッ方もヘトヘトに疲れとるから。話は、あとで聞こう」
あわてて、手を振って、理平は奥の洋室へ逃げこむようにはいった。どっかりと、椅子のなかに体を投げこんで、
「珈琲」
両手を、後頭部でむすびながら胸をそらして、
「熱く」
と言い足した。
それを待っている間に、彼は眉をしかめ出した。上の露台だろう、朝からハーモニカを持ち出して、幼稚な、騒々しい音を、吹きちらしている者があった。
闖入者
おそろしく熱い珈琲へ、くちびるを近づけただけで、理平は、ふきげんに下へおいて、
「誰だ、あれは」
と、女中へ咎めた。
「ハーモニカですか。あれは、おとといの晩千歳の女将さんと警察署のお方が預けておいでになった、トムさんです」