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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

夕坂越えて

場合によっては、この原板を無償で進呈してもいいことよ。――だが私の大事な用向きはここなのだから、ここをよく聞いて欲しいの」

と、お光さんは、平調に澄まし返って、「冤罪ということは、これほどに怖ろしいことでしょう。だのに、夫人は、君よりももっと正大な、一人の労働者を、冤罪に墜し放して、素知らぬ顔をしていましたね。――そのことは、私が連れて来た男の口から言わせましょう。――黒眼鏡君、来て頂戴」

彼女が、扉の外へちょっと顔を出すと、瀟洒な巾着ッ切の常は、おとなしい笑いをたたえながら、

「ごめん下さいまし」

と、羽織の裾をはねて、一つの椅子を占めた。

夕坂越えて

トム公は愉快でたまらなかった。ハーモニカを唾だらけにして、弄んでいた。その間に、彼の希望していたことは、はきはきと、片づいて行った。

船渠の構内で、お槙の指環を窃盗した真犯人が、亀田でなかったことは、黒眼鏡の口から立証された。

それを掏った当人――黒眼鏡の常が、自分の口から述べることばだった。お光さんはまた、その証拠として自分の手にある、ダイヤの指環を見せた。

理平もお槙も、その後、亀田がほんとの窃盗者でないことは、うすうす感じていたのであったが、そういう階級の人間に、何らの同情も介意もしない富豪通有の冷淡さが、彼らにもあって、いいかげんに放念していたので