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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

陸の海月

トム公は、両方の手を、扉と壁に突ッ張って、木靴でバタバタと床をたたいた。

「こら、出んか」

「出ン」

「どうしましょう」

「よろしい」

刑事は立って来て、柔道何段かの実力を示すように、トム公の喉首を壁際へ持って行った。

「さ……奥様、お通りください」

陸の海月

柔道何段かの前には、トム公も毬のようだった。守衛たちは、さんざん転がった彼の体を、三人でかついで、門の外へ抛り出した。

「畜生」

トム公は、閉じられた鉄の門へぶつかッて行った。亀田を返してもらわなければ、十銭銀貨二枚を待ちこがれて、ランプの石油も買わずにいる彼の五人の家族に対してまみえることができない――という気持でいっぱいだった。

「やい、ヘッポコ、チョンガリ、南京虫!」

赤と青の角燈の光が、彼のうしろから虹のように投射して掠め去った。トム公は、それが本社の表口を離れた馬車だと知ると、まッしぐらに追いかけて、馭者台へとびついた。

「あっ、違ッた」

二頭立ての中に見えたのは、トム公の知らない小父さんだった。前内閣総理大臣大隈重信の顔も、新聞を見ないトム公には、幸いにも、あのへの字口が、そう大したものに見えなかった。