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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

角燈

「李鴻章、元町のお光さんは、来ねエかなあ」

「お光さん? 来る」

「何時頃?」

「何か用あるか」

「あるから聞くンだい、急に会いたいのさ、お光さんの智恵を借りたいことがあるんだよ、どうしても、おれだけじゃ、できねえことだから」

「それでは、薬師様へ行く方、はやい、こん夜縁日ある、ムラサキ組の女衆、みんな、あそこに寄る」

「あ! 薬師か」

トムは、阿片クラブの砂金窟をとび出した。

いい月が空にある。

角燈

赤い谷戸の薬師の縁日の巷から、その晩、彼が帰ったのは、ずいぶん、遅かった――

いつも、どんなに遅くなっても、寝もやらずに、彼の帰りを闇の家で待っている彼の母は、たいへん、勘がいいので、それらしい木靴の音が、狭隘な路地を弾んで来るとすぐに、

「トムかえ? ……」

と、闇の中に坐りなおした。

この家にはランプがなかった。トム公の母親は、このイロハ長屋にあっては、どうかしてできた一つぶの天然真珠のように、若くて、美しくて、この細民窟のすべての人にない常識が豊かであった。――だが、悲しいことには、彼女は、盲目だった、自分の指も見えない黒内障であった。

「トムかえ?」

「あ、あ」