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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

木靴

木靴

「食えない者は、誰でもおれに尾いて来な。晩には十銭銀貨二ツと白銅の五銭玉一ツ、みんなのポケットに悪くねえ音をさせてやるぜ」

かんかん虫のトム公は、領土の人民を見廻るように、時々、自分の住んでいるイロハ長屋の飢餓をさがし歩いた。

彼は、貧民街の同胞たちから、長屋のプリンスの如く人気があった。事こころざしと違って、二年や三年食いはぐれて見ても、外国のようで日本のようで、金儲けで埋まっているようで、金を摺らせる坩堝のようで、得体のわからない貿易港から、ふしぎにもよく仕事のアナを探って来る彼は一種の天才だった。

「おじさん、労働したことがないって言ったね」

「まったく経験がないんです、勤人なんてものは、落魄れると実に困りものだなあ。なかなか二度とは雇口がないし、家族はみんなあんなだし……」

「悄げなさんな、お天陽さまが出るうちは、心配はねえッてことさ」

「助かりますよ、今日から仕事があれば。――だが、僕にできますかな」

「のみこんでるよ」

「一つ、よろしく」

「だが、おじさん、帽子の縁を、鼻まで引ッ張ったり、女が来ると、下を向くのだけはよしねえ」

今朝の彼の同伴者は、イロハ長屋へ落ちて来てからまだ間のない四十前後のよく肥ったカイゼル髯のある男だった。