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かんかんむしはうたう
かんかん虫は唄う
吉川 英治
「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页
大人しく官吏でいればいいものを、開港場のばか景気にそそられて、健気な発奮をしたため、立志伝の逆をやり遂げてしまったというのが彼の述懐であった。
十四のトム公は、生活力をスリ減らした四十男をしりえに連れて、ぽかぽかと木靴を躍らして歩いた。矮短な体をズボン吊で締めて、メリケン刈の頭へ蟇の疣みたいに光る鳥打帽を乗っけている。
彼のいちばんお花客先は、横浜の船渠会社であった。まだ菜っ葉いろの職工さえその門に見えないうちに、全市のかんかん虫は煙のように高い煉瓦塀の下に蝟集する。わらじ、ボロ靴、ゴム足袋、木靴、洋装、和装、裸装、あらゆる労働的色彩が睡眠不足な蠢動をしている。女は女でかたまり、男は男でかたまっている。鉄の門には、まだ朝霧がふかい。結核性な匂いをもつ青白い瓦斯燈が、ほそい眼をして、いつもそこに簇る夥しい求食者の群を見下ろしている。
「きょうは百二十人、百二十人」
前のめし屋のランプの影から、やがて二、三人編上靴を穿いたのが出て来て、こういう時は仕事のある福音だった。
しかし、三分の一は、ハネをくって帰った。落伍者はたいがい労働にたえそうもない病人や老人だった。