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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

「どこ? どこ?」

「どこだって、いいじゃないか」

「いけない、いけない」

黒眼鏡はあわてて手を振って、

「尾いて来ちゃいかん」

と、睨む真似をして、早足に五、六歩離れると、またふり顧って、ついと屋上に時計塔のある柳田商会の小売部へはいった。

豆菊とひとりの若い芸妓は、しばらく、街路樹の下にたたずんでいたが、通りかかる外国人に、ステッキで指されたり、顔を知っている新聞社の原稿給仕が、わざと自転車を向けて来たり、撒水車が来たりするので、居たたまれないで、なんども、柳田商会のまえを行ったり来たりしていた。

時間を約束してあるので、小売部の金庫のまえには、豚のごとく肥えた老主人が、お光さんの所謂狒々然たる精力的な精力を、為すことなく、退屈させていた。

「どうでしょうか、昨日の指環は」

と、黒眼鏡は、店の椅子に腰をかけて、

「買ってくれませんか」

と、切り出した。

老主人は鈍角な赤ら鼻を上げて、

「拝見いたしました」

と、不明瞭に、ていねいに答えた。

「値だんですか、そちらで、考えているのは」

「ま……それもございますが」

「少しゃ、引いても、いいですよ」

「はい」

「一・半カラットは十分にあるんですからな。