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かんかんむしはうたう

かんかん虫は唄う

吉川 英治

「週刊朝日」1930(昭和5)年10月号~1931(昭和6)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,006 字 · 182 页

青空文庫

「松どん、松どん」と帳場の下からコークスにかかっている鍋を気にして、

「焦げくさいよ。それから、庄吉は警察の後註文を持って行ったかい。七つだよ、ああ、留置場の方はみんな行ってるとさ」

「おばさん、その留置場へ、ゆうべ、かんかん虫のトムがはいって来ない?」

「トム? 知らないね。だれか知ってるかえ、伊勢佐木署へそんな男が抛りこまれていたかいないか」

「お光さん、トム公ってな、子供でしょう。まだこんな小ッこい」と煮方の松どんが、煮を待ちながら背丈の寸法を示して、

「そいつなら、ゆうべも今朝も、さんざん刑事部屋でなぐられていたッて、庄吉が話してましたぜ」

「じゃ、たしかに、捕まって来たのだね」

「なあに、今朝はもう、西戸部の少年懲治監の方へ廻されましたよ。子供は二晩以上は留置場に置かねえことになっていますから」

「おや旦那。……いらっしゃいまし」

ふいに、内儀さんが座蒲団を向けたので、お光さんはうしろを振り向いてみた。そしてすぐに、自分の肩に寄って、ぬうっと立っている男に刑事らしいにおいを感じた。刑事の眸は眼の皮の左の隅に寄って、見ぬふりをしながらお光さんの耳たぶをじっと見ていた。